P.S.

日々のあとがき

もしも誰かを傷つけるとしたら

善意からだったのか、或いは面倒な役割を押し付けられただけなのかは今はもうあまり覚えていないけど、小学校5年か6年の時、自分が児童会長として推薦されたことがあった。でも、学校の代表っていうとてつもない重荷を背負うのがどうしても嫌だったし、一つ上の児童会長が、今までしていたであろうちょっとした悪戯やサボりが許されなくなって、自由がなくなって、友人、親、先生含め周り全員から「生徒の代表」っていう立場の人間として厳しい目で見られるようになっていたことが、僕には何よりも恐かった。少しでもミスを犯したり、不真面目な行動をすれば、「会長のくせに、そんなことも出来ないの?」っていう刃物みたいな言葉で切りつけられる立場。

そんな状況を知っていたから、周りのすべての期待を裏切って拒否して、僕は傷を負うことから逃げた。本当に、弱くて最低な人間だと思う。そんなどうしようもない自分の代わりに会長に立候補してくれたのが、友人のK君だった。

当時はK君と本当に仲が良くて、ほとんど毎日の様にお互いの家でゲームをしたり、庭でボール遊びをしたり、とにかく色んなことをして二人で遊んだ。何度もK君の家に通っていたから、今でも色んな景色を鮮明に思い出すことができる。K君の家の近くの古びた神社も、学校に向かう道とは違う方向に曲がる十字路も、十字路から見渡せる広大な田んぼも、K君の家へと続く緩い傾斜の坂道も、K君の家の広い庭も、その庭に雑然と置いてあった農具も、全部。K君は、僕が逃げてしまったことを一切否定しなかった。彼だって、一つ上の会長がどんな状況だったか知っていたにも関わらず、友人である僕を助けるために、自分が重荷を背負うことを笑顔で引き受けてくれた。僕は、彼に本当に感謝したし、自分以外の誰かの為に行動できる彼を、心の底から尊敬していた。

K君が無事児童会長になってから、彼の学校生活は変わっていった。「勉強」と「遊び」だけだった生活の中に、「会長としての仕事」が加わる形で。機会があれば、全校生徒の前で話さなくてはいけないし、学校の行事には運営側という立場で携わらなくてはいけないし、学校の重要なことも、K君が決定しなくてはいけなかった。休み時間に友達と遊ぶ時間も削らなくてはいけなかったし、放課後も会長として、幾つかの面倒な仕事をこなさなくてはいけなかった。自然と、K君を遊びに誘う人は少なくなっていった。そして、毎日の様に彼と一緒にいた僕でさえも、K君が忙しいからと理由を付けて、K君と二人で遊ぶことを段々と諦めるようになり、クラスの他の友達と遊ぶようになってしまった。K君は、少しずつ孤独になっていった。

そんな状況になったからか、K君は段々と児童会長としてのやる気を失っていった。そもそも、彼は僕を助ける為に会長に立候補しただけで、本心から望んでなった訳じゃない。それに、K君は元々人前に進んで出て行くようなタイプの人間ではなくて、寧ろあまり目立たないように過ごしていたタイプだったから、会長として注目され続けることにストレスやプレッシャーをかなり感じていただろうし、それが負担になってしまってやる気を失ってしまうのは、当然のことだと思う。そして、それに付随して、K君は普段の学校生活もないがしろにするようになった。

そんなK君を責めることは、僕には出来なかった。でも、周りの人たちはそうはいかなかった。

段々と不真面目になり、色んなことがおろそかになっていくK君に向かって、一部の友達は、「会長のくせに」という言葉を投げつけるようになった。前の会長を傷つけていた、あの刃物みたいな言葉。子供が放つ言葉はとても純粋で、嘘がなくて、研ぎ澄まされている。だからこそ、それが誰かを傷つけるために使われた時、容赦なく心を傷つけるものになってしまう。

そして、K君を責める人達と、僕は仲良くなってしまっていた。だから、K君のことをかばってあげなかった。見て見ぬ振りを、してしまった。僕は、その友達たちに嫌われるのが怖かった。僕はそこでも、またしても逃げてしまった。大切な友達が傷つけられているという事実から、目を背けてしまった。今でも、その選択をした自分を許すことは出来ない。

 

それからしばらくして、K君は学校に来なくなった。

僕は、その後彼の元に何度か学校のプリントを持って行って、その度に少しだけ話をした。僕はK君に何度も謝った。そして、K君は何度も、「君のせいじゃないよ」と言ってくれた。彼を傷つけて不幸にしてしまった原因である僕にすら、優しい言葉をかけてくれた。

僕は、彼の家から帰る度に泣いた。本当に泣いていいのは、僕じゃなくてK君だ。でも、自分の弱さがどこまでも情けなくて、そして何よりも、自分のせいで昔みたいに彼と一緒に遊ぶことが出来なくなってしまったことが本当に悔しくて、悲しくて、僕は涙が止まらなかった。

 

今でもあの時の記憶は、圧倒的な重さを伴ってずっと心の中に残り続けてる。これから先も今の重さを保ったまま心の中に沈殿し続けて消えることはないだろうし、それでいいんだ、とも感じる。過去を後悔し続けることが、もう相手にとっては何の意味もないことだっていうことはわかってるし、一度そうなってしまったことを変えることなんて出来ないこともわかってる。それでも、あの時の自分の弱さを僕は決して忘れないし、忘れてはいけない、と思う。

強くあること、あり続けることは、とても難しい。強くあり続けるというのは同時に、傷を受け続けるということでもある。だから時には、どうしようもなくなって何もかもから逃げ出したくなる。誰かにぶつけたくなる。そしてそれは、自分を守る為にも必要なこと。でも、もしその弱さが大切な誰かを傷つけてしまうのなら、不器用でも、うまくいかなくてもいいから、少しだけ立ち止まって、その自分の弱さと向き合っていかなくちゃいけないと、そう思う。