P.S.

日々のあとがき

暗いは本当で明るいは嘘

音楽でも映画でも小説でもなんでも、暗いもの、悲しいもの、切ないものの方が好き。これは相対的な話であって、明るいもの、楽しいもの、分かりやすいものも好きになりはするんだけど、心に残っていて、且つ自分の考え方にも影響を与えてきたのは、やっぱりそうじゃないものの方が多い気がする。なんというか、自分にとっては「暗い」っていうのはとても本質に近いような気がしていて、明るいものよりもずっと生々しさというか、真実さというか、そういう度合いが強いって感じがする。それに、何もかもが嫌になって本当に落ち込んだ時に救ってくれたのが暗いものだったっていうのもある。そもそもなんだけどさ、落ち込んだ時こそ逆に明るい音楽聞いて歌って踊れば元気になる、とかそんなこと本当にあるのかね。自分が沈んでる時は、明るいものなんてただただ眩しくて騒々しくて、とてもじゃないけどそこに入り込むことなんて出来ない。明るいものの図々しさというか、勝手に入り込んでくる感じというか、そういうのが全然受け付けられなくなる。自分の中だけで悩んで苦しんでいるから別に分かって欲しくなんかないのに、どうしてお前に励まされないといけないんだよ!勝手に決めつけんな!みたいな、そういう風に思ってしまう。

でも、どうして暗いものが本質って感じるんだろうっていう話をもう少し掘り下げて考えてるんだけど、明るいというのはベクトルが凄く外向きな言葉な気がするし、それに努力が必要なものなんじゃないかっていう気がするんだよね。明るく振る舞うことも結局は無理をするって印象があるし、それは内面を覆い隠すための行為なんじゃないかっていう気もする。何かに悩んで苦しんでいる自分を外に出さないように、それが本当の自分だって悟られないようにするために、明るく振る舞う必要があるんじゃないかなあと。勿論、常に本当の自分を出すことなんて出来ないし、何かを悲観したりしてネガティブに考えてるだけだと色々上手く回らなくなるのは分かってるから、悩みなんて無いふりをして、自分の中だけで消化して、前に進もうとするのが一番いいのかもしれないなとも思う。それに、みんながみんな他人や自分の暗い部分に触れ続けてたら、それこそ何も出来なくなっちゃいそうだし。でもだからこそ、そういう暗い部分っていうのはとても深いところにあって、普段は見ないようにしているけど実はそこにこそ本当の思いとか言葉とかがあるような気がする。暗いものというのは、そういう誰かの中にある本当をぶつけることで生まれたものなんじゃないかと思うから、生々しいし、時には目をつむりたくなるし耳を塞ぎたくもなる。けど、そういう嘘のない表現の方が、全ての人に受けいれられない代わりに、誰かの心に突き刺さったりもするわけで、だからやっぱり暗いものを好きでいたいと思うし、自分自身も表現する場所では本当の暗いものみたいなものをぶつけていきたいなと思ったりする。